接骨院(整骨院)で勤務・開業する人は「柔道整復師」という国家資格を持つ施術家です。この名から分かるように、柔道整復術の源は武道の柔術にあります。柔術には殺法と活法があり、後に殺法はスポーツ(柔道)として、そして活法は医療の一部(柔道整復術)として現在まで発展してきたのです。
【柔道整復術1000年以上の歴史】
『奈良時代~平安時代』
今から約1300年前、奈良時代に柔術の活法として柔道整復は誕生しました。当時の歴史書「大宝律令」には、外傷(外的損傷)を専門に施術する官職の存在が記されています。その後平安時代、現存する日本最古の医学書である「医心方」には、骨折・脱臼・打撲・創傷に対する施術に関して詳細に記されています。
『江戸時代』
江戸時代、柔道整復術が体系化し隆盛を極めた時代です。三浦楊心、吉原元棟、秋山四郎兵衛義時、二宮彦可、各務文献、華岡青洲、高志鳳翼、名倉直賢、磯又右衛門柳関斎源正足、斎藤玄逸などの武道家・医師が施術法を発展させたのです。
高志鳳翼は、日本最古の整骨専門書である「骨継療治重宝記」を発表しており、これは中国医学書の影響を大きく受けて書かれたものでした。
華岡青洲は、「華岡青洲整骨秘伝図」「春林軒治術識」を発表しており、これはオランダ医学書の影響を大きく受けて書かれたものでした。
このように外国から医学の影響を受けながら、柔道整復術は発展し体系化していきました。
また、各務文献による「整骨新書」や、二宮彦可による「正骨範」は、骨折や脱臼の整復法が詳細に解説されたものであり、現在までの柔道整復術に大きな影響を与えました。
『明治時代~昭和時代』
明治維新以降、西洋医学を主とした医療制度が整備された事により伝統医療は衰退し、1894年(明治27年)「太政官令」により接骨業が廃止となったのです。
この柔道整復術の存亡の危機に、柔道家たちによる柔道接骨術公認請願運動が起こり、1920年(大正9年)に「内務省令」により按摩術営業取締規則が改正され、付則の中に柔道整復術に関する記載が盛り込まれることになりました。そして、同年に初の柔道整復師試験が警視庁にて行われました。
1932年(昭和7年)日本初の柔道整復師の養成学校の誕生。
1947年(昭和22年)「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」の公布。
1970年(昭和45年)「柔道整復師法」の成立。
『平成時代~』
1989年(平成元年)「柔道整復師法」が改正され、国家資格である厚生大臣免許となる。
1993年(平成5年)「第1回柔道整復師国家試験」の実施。
そして柔道整復師は法制化されていく中で、整体やカイロプラティックとは明確に区別されました。
【現在の接骨院】
現在では柔道整復師の人数は約73,000人(平成30年)、全国の接骨院数が約50,000院(平成30年)あります。毎年約5000人の柔道整復師が誕生していますので、現在では10万人近くの柔道整復師が存在していることになります。
これは、世の中のニーズが広がっていると考えられる反面、学校の乱立による柔道整復師のレベル低下・柔道整復師による保険請求の不正などの問題があります。
コンビニを越える数にまで膨らんだ接骨院(整骨院)、本来の伝統医療は廃れていっているのが現実です。
当院では日本古来の柔道整復術と、伝統カイロプラクティック、最新の整体技術を組み合わせた施術を行います。急性症状(保険施術)~慢性症状(自費施術)まで幅広くご対応致しますので、ご安心ください。